不幸の顔をした幸運を掴む:逆境を転機に変える思考法

不幸の顔をした幸運を掴む:逆境を転機に変える思考法

幸運はいつも笑顔で来るわけではない

「幸運」と聞くと、順調でキラキラした出来事を思い浮かべがちです。しかし現実には、幸運は必ずしも「幸運の顔」をしてやってきません。むしろ、最初は不運や困難として現れることが多いものです。

例えば、

  • スタッフの不正が発覚して組織が大きなダメージを受けたが、その対応を通じて内部統制が強化され、結果的に健全な仕組みが整った。

  • 業績が落ち込んだことで既存事業のしがらみを断ち切り、新しい事業の芽が育った。

こうした事例は珍しくありません。表面的な「不運」の裏に、将来の好転のきっかけが隠れている場合があります。

「禍福は糾える縄のごとし」を思い出す

「禍福は糾える縄のごとし(かふくはあざなえるなわのごとし)」という言葉通り、幸福と不幸は交互にやってきます。最悪に見えた出来事が将来の布石になることがある一方で、すべてが順調に見えるときほど慢心や見落としが生まれやすく、問題の芽が育つリスクもあります。

だからこそ、出来事に一喜一憂せず、長い視点で物事を見る姿勢が大切です。

禍福は糾える縄のごとし(かふくはあざなえるなわのごとし)

このことわざは、 「幸せ(福)と不幸(禍)は、より合わせた縄のように交互にやってくる」という意味です。

つまり、

* 幸せのあとには不幸が訪れることもあるし、
* 不幸のあとには幸せがやってくることもある、
という人生の浮き沈みの循環を表しています。

「糾う(あざなう)」とは、糸や縄などをより合わせるという意味です。
縄は、異なる二本の糸を交互にねじり合わせてできています。
この「より合わせた縄」のように、人生の中では幸福と不幸が絡み合って存在するというのが、この言葉の本質です。

この言葉は、中国の古典『史記』や『淮南子(えなんじ)』に由来するとされ、日本でも古くから人生の無常や因果のつながりを示す言葉として使われています。

運は「出来事」ではなく「解釈」の中に宿る

出来事自体には良し悪しの価値はありません。重要なのは、出来事にどんな意味を与えるか――つまり、あなたの解釈です。

同じ出来事でも、

  • 「なぜこんな理不尽なことが起きたのか」と嘆いて立ち止まるのか、

  • 「この経験から何を学べるか」を淡々と整理して次に生かすのか、

最終的に力を持つのは後者の姿勢を持つ人です。逆境の中で冷静に状況を見直し、意味を見出せる人が、未来を変える一歩を踏み出せます。

淡々と準備を続ける人に、幸運は再び訪れる

不運に見えた試練を乗り越え、足元を整え続ける人のもとに、幸運は別の顔でやってきます。試練を避けず、向き合って準備を続けること。これが次の好機を迎え入れる最も確かな方法です。

目の前の困難が、未来の幸運の芽である可能性を念頭に置き、解釈を味方につけましょう。

今日の一歩(実践ワーク)

あなたの周りで今起きている「不運に見える出来事」を一つ取り上げ、その出来事が未来の自分にどんな「幸運の布石」となる可能性があるか、次のように書き出してみてください。

例:

  • 不運:大口の契約を逃した。
    解釈の転換案:

    • 「より最適なパートナーを見つける時間を得た」

    • 「自社の提案の弱点を徹底的に分析できる機会になった。次世代の主力商品を作るきっかけになるかもしれない」

この作業を1つの出来事で構いません。5分〜10分で短くまとめるだけでも、視点が変わり行動につながることが多いです。


不運は終わりではなく、解釈次第で転機になります。淡々と事実を受け止め、意味を見出して次の一手を整えていきましょう。