昔の阪神電車の写真集【120年にわたる記憶の旅】
昔の阪神電車の写真集です。
昔の阪神電車についてはこちらが詳しいです。一部抜粋させて頂いたものが以下になります。
大阪万博が開催された1970(昭和45)年には、大阪に阪神の路面電車が走っていたようです。
・国道線:野田~西灘25.1km(下図青線)
・甲子園線:上甲子園~浜甲子園2.8km(下図緑線)
・北大阪線:野田~天神橋筋6丁目4.3km(下図水色線)
1974(昭和49)年に、阪神国道線の上甲子園~西灘が廃止になり、1975(昭和50)年5月には、阪神の路面電車は全線廃止となりました。
旧梅田駅(地上駅)<1931年> *1939年に現在の大阪梅田駅(地下駅)の場所へ移設
旧梅田駅は阪神電鉄の地上駅として1931年に撮影された姿で、現在の大阪梅田駅の前身です。梅田の中心に位置し、当時はターミナル駅としてにぎわいを見せていました。1939年には地下化され、現在の場所へ移設されました。写真は、地上駅時代の貴重な記録です。
天神橋筋六丁目停留場(北大阪線)<1926年> *1975年廃止
1926年当時の天神橋筋六丁目停留場は、阪神北大阪線の終点としてにぎわっていました。路面電車が大阪市街北部を環状に結び、地域の足として親しまれていた時代です。1975年の路線廃止まで、多くの人々の暮らしを支え続けました。写真はその活気ある日常の一場面を伝えています。
開業時の西九条駅(千鳥橋~西九条間が開業し、伝法線を西大阪線に改称)<1964年>
1964年、西九条駅は阪神電鉄の伝法線が千鳥橋から延伸されたことで誕生しました。同時に路線名も「西大阪線」に改称され、地域の交通の要所として新たな役割を担うことに。写真は開業当時の駅の様子を伝える貴重な一枚です。
武庫川駅<1954年>
武庫川駅は、阪神電鉄本線の開業とともに1905年に設置され、1954年当時は武庫川の橋梁上にホームがある珍しい構造でした。尼崎市側と西宮市側の両方に改札口があり、地域の交通の要として機能。写真は、川の上に浮かぶような駅の姿をとらえた貴重な記録です。
武庫川駅の架橋工事が中止されて武庫川尻に残された橋脚<1954年>
1954年、阪神電鉄が武庫川に新たな橋を架ける計画を進めていましたが、工事は途中で中止されました。その結果、川尻には未完成の橋脚だけが残され、静かに時を刻んでいます。写真は、幻となった鉄道構想の名残を伝える貴重な記録です。
併用軌道時代の御影駅付近を走る阪神電車<1920年頃>
1920年頃、阪神電車は御影駅付近を併用軌道で走っていました。道路上に敷かれたレールを走る姿は、当時の街並みに溶け込んだ風景そのもの。後に安全性とスピード向上のため高架化され、併用軌道は姿を消しました。写真はその貴重な過渡期を伝えています。
甲子園駅<1929年>
1929年当時の甲子園駅は、阪神甲子園球場の開設に合わせて整備された駅で、野球観戦客の輸送を目的に設置されました。写真は開業間もない頃の駅の様子をとらえており、沿線開発とスポーツ文化の広がりを象徴する一枚です。
滝道駅(写真左)<1929年>*1933年廃止
滝道駅は1912年に神戸市中央区に開業した阪神電鉄の地上駅で、現在の神戸三宮駅の前身にあたります。布引の滝へ続く道に由来する駅名で、「神戸駅」とも呼ばれていました。市電との乗り継ぎも可能で、当時は鉄骨屋根や電飾が施された近代的な駅でしたが、1933年に地下化に伴い廃止されました。神戸の鉄道史を語るうえで欠かせない存在です。
三宮駅(現・神戸三宮駅)<1933年>
1933年に撮影された三宮駅(現・神戸三宮駅)は、阪神電鉄が併用軌道を廃止し地下化した際に誕生した新しい地下ターミナルです。写真に写る駅舎は、当時の近代建築の象徴「三宮阪神ビル」とともに、神戸の都市交通の転換期を物語っています。
元町駅<1936年>
1936年に撮影された元町駅は、阪神電鉄が三宮駅から西へ延伸したことで誕生した地下駅です。神戸の中心地・元町通に位置し、南京町や旧居留地へのアクセス拠点として重要な役割を果たしました。写真は、開業当初の街と鉄道のつながりを感じさせる一枚です。
神戸高速鉄道が開通(山陽電気鉄道との相互直通運転を開始)<1968年>
1968年、神戸高速鉄道の開通により、阪神電鉄と山陽電鉄の相互直通運転が始まりました。これにより、神戸市内を通じて両社の路線がつながり、利便性が大きく向上。写真は、都市間交通の新時代を告げる歴史的瞬間をとらえた一枚です。
浜田車庫<1958年頃>*併用軌道線の廃止に伴い1975年廃止
1958年頃の浜田車庫は、阪神電鉄の併用軌道線(国道線・甲子園線)の車両基地として活躍していました。尼崎市内に位置し、路面電車の運行を支えていましたが、併用軌道線の廃止に伴い1975年に閉鎖。写真は、昭和の街を走った電車たちの拠点の記憶を今に伝えています。
東明車庫<1954年>*石屋川車庫完成に伴い1968年廃止
1954年当時の東明車庫は、阪神電鉄の車両基地として神戸市東灘区に設けられていました。後に石屋川車庫の完成に伴い、1968年に廃止されました。写真は、昭和の鉄道運行を支えた施設の姿を今に伝える貴重な記録です。
旧石屋川車庫<1968年>*日本初の車検庫付き高架車庫。1955年の阪神・淡路大震災で全壊
1968年に完成した旧石屋川車庫は、日本初の車検庫付き高架車庫として注目を集めました。神戸市東灘区に位置し、阪神電鉄の近代化を象徴する施設でしたが、1995年の阪神・淡路大震災で全壊。写真は、鉄道技術の進化と自然災害の記憶を刻む一枚です。
まとめ
このブログでは、阪神電車の120年にわたる歴史を、貴重な写真とともにたどりました。滝道駅や旧梅田駅など、今は姿を消した駅の記録からは、都市の発展と鉄道の変遷が見えてきます。併用軌道時代の御影駅や川の上にホームがあった武庫川駅など、ユニークな構造も紹介され、当時の街と鉄道の関係性が浮かび上がります。また、車庫や未完成の橋脚の写真からは、鉄道運行の裏側や幻の計画の痕跡も感じられます。これらの写真は、交通の記録であると同時に、街の暮らしや人々の思い出を映す鏡でもあります。阪神電車の歩みを振り返ることで、私たちの暮らす街の歴史にも新たな視点が生まれるのではないでしょうか。