大山寺【神戸市で唯一の国宝建造物】

大山寺【神戸市で唯一の国宝建造物】

太山寺(たいさんじ)は、兵庫県神戸市西区にある天台宗の寺院で、山号は三身山(さんしんざん)です。

この寺は国宝の本堂を有しており、弘安8年(1285年)に火災で前身の建物が焼失した後、永仁年間(1293~1299年)に再建されました。

本尊は薬師如来であり、新西国三十三箇所第25番札所本尊の十一面観音も祀られています。

境内は原生林が残る深森で、春は桜、秋は紅葉の名所として知られています。

訪れる際には、国宝の本堂や周辺の風景を楽しんでください。

 

太山寺:バス停

 

太山寺仁王門

太山寺は、鎌倉時代から室町時代にかけて隆盛を 誇った天台宗の名刹です。播州太山寺縁起によれば、 かまたり しょうえ うまかい 藤原鎌足の子、定恵和尚が開基し、孫の藤原宇合に よって霊亀2年(716年)に創建されたと伝えられ ています。

太山寺にば仁王門や国宝の本堂といった建物や、 国の名勝安養院庭園の他、多くの指定文化財や宝物 が伝えられています。また周囲には江戸時代の陽明 学者熊沢蕃山の閑居跡や石童丸の伝説をはじめ、そ の他多くの史跡があり、仁王門そばに奉られた切り株は、カンテウノ松またはイボ松と呼ばれ、親しま れてきました。

この仁王門は他所にあったものを現在の場所に移築したもので、建築当初は三間一戸二層の堂々たる 門でしたが、移築の際に上層部を撤去し、軒回りも 縮小して現在の形になっていることが、昭和28年の 解体修理工事で確認されました。木鼻などから、移 築は室町時代後期と考えられ、創建年代は不詳ながら、 かえるまた 蟇股や組物から鎌倉時代末期まで遡ると推定されます。

中央間を開放して、両脇間には正面と内側に金剛 柵を廻し、その上に菱欄間をつけて仁王像を納めて います。向かって左側の脇間には、修理の際に発見 された古材を基に当初の三手先の組物と軒まわりを 復原しています。


太山寺

兵庫県下には、姫路城を代表とする国宝建造物が6箇所14棟ありますが、太山寺本堂は神戸市 内で唯一のものです。昭和39年に修復された本 堂は、鎌倉時代に建てられた13世紀の代表的で 大規模な仏堂です。建築様式は折衷様式で、 様の技法を主としながら唐様の木鼻をつけ、肘 木の曲線は東半分が和様、西半分が唐様を用い ています。ほぼ正方形の平面を持つ内部空間は、 仏像を安置する「内陣」の側背面を「脇陣」と「後 ないじん わきじん こうじん げ 陣」が取り囲み、その前方に礼拝空間である「外 じん 陣」が付くという形式で、外陣に並び立つ太い 柱の列が印象的です。また、こうした場所ごと に天井のデザインを変えているのも見所の一つです。

この地は伊川の上流部にあたり、渓谷沿いに は磨崖仏や奥の院があります。奥の院に湧いて いた阿伽井の水は、目の病に効くと言われていました。現在、この伊川沿いには太山寺ラジウム温泉が整備され、多くの人に親しまれています。

太山寺を囲む標高170m前後の山々は、八葉蓮 華と称され、コジイやウバメガシを主体とした 照葉樹林に覆われています。面積は約11haあり、 約160種類の植物が自生する県下最大の貴重な自 然林(県指定天然記念物)です。

 

 

太山寺本堂(国宝)

この本堂は、神戸市内の建造物の中で唯一 の国宝に指定されている建物です。

弘安八年(一二八五) 二月に火災で焼失し ましたが、一三〇〇年頃には再建されたもの と思われます。

太い大きな柱、力強い木組み、しかも簡素 な外観は古い建築様式を伝えるとともに、広 く大きな建物は寺の格式の高いことを示しています。

内部は御本尊の薬師如来を安置する内陣と礼拝する外陣に区切られ、密教寺院の本堂形式になつています。

しとみど外部には蔀戸が用いられており、上半分は 外側に釣り上げ、下半分は取り外せます。

昭和三十九年に解体修理を行ったので、鮮 やかな色になっています。


 

太山寺:三十塔

 

 

 

太山寺:奥の院

 

太山寺:阿弥陀如来坐像(重要文化財)