芦屋の津知川【暗渠を辿ってみました】
暗渠とはかつて川だったところです。
暗渠の詳しい説明は下記になります。
「暗渠」とは、地下に埋設した水路のこと。暗溝とも言い、ふたをして分からないようにしている水路も暗渠と呼ぶ。反対語にあたるのが開渠。暗渠は、臭いが出てしまっては生活に問題がある場合や、外部から何かが混入するのを防ぐために使われる。
出典:東建コーポレーション 建築用語辞典
今回の暗渠巡りは、芦屋の津知川です。
暗渠ですので、現在は川ではなく、道路になっていますが、
かつて川だった痕跡がいくつか確認できました。
以下に示す地図の青色破線が、「暗渠となった津知川」と推察します。
それらしき痕跡が、地図中の赤丸①~⑤にありました。
痕跡①の写真です。
海に面した堤防に上り、足元を覗き込んで撮影したものですが、明らかに河口になっています。
痕跡②の写真です。
「津知川 神楽橋の跡」と明記されています。
かつて、津知川という川がここにあった決定的な証拠です。
深江財産区が昭和62年に石碑を建立しています。
痕跡③の写真です。
日吉神社の横から撮影しています。
明らかに道が蛇行しており、かつて、川筋だったことが示唆されます。
痕跡④の写真です。
清水公園の看板を撮影したものです。
「本公園の敷地内には、古い川の一つである東川が流れていました」
との記載があります。
津知川ではなく、東川というのが気になりますが、
場所的にはほぼ間違いなく、津知川になると思います。
痕跡⑤の写真です。
先ほどの清水公園から、JRの線路を挟んで、北側を撮影したものです。
水路のようなものが明確に確認できます。
Wikipediaの津知に関する情報を抜粋しておきます。
津知(つじ)は兵庫県芦屋市の地名の一つ、市の南西部、今の町名でいう津知町の全体と清水町の一部にわたる範囲に相当する。 江戸時代の津知村(辻村とも書いた)に基づく地名であり、明治22年(1889年)から昭和19年(1944年)までは、芦屋、打出および三条と共に精道村(昭和15年(1940年)以降は芦屋市)を構成する4つの大字の一つだった。
かつて村内には慢性的な水不足に備えた溜池が散見され、窪地や低地を埋め立てて田地とした箇所の多かったことが、窪地・低地・凹地を表す「保都」という小字名からはうかがわれ、その場所には大池があったという。
現在ではこの地域は住宅地となっていて、地域内を国道2号が横切り、津知町に日吉神社がある。 阪神・淡路大震災では被害の最も甚大だった地域であり、街の再生にあたって行われた調査の結果、六条遺跡・津知遺跡が発見された。
水源は溜池を利用する他、芦屋川から分水した東川用水を受ける井組の一員でもあった