魚屋道(ととやみち)【東六甲最古の山越え交通路】

魚屋道(ととやみち)【東六甲最古の山越え交通路】

魚屋道(ととやみち)は、東六甲最古の山越え交通路です。

 

深江浜でとれた魚を、有馬温泉まで運んでいました。

ざっくり言うと、下図のルートになります。

 

若かりし頃、魚屋道を通って、深江から有馬温泉まで徒歩で山越えをしてみましたが、

5,6時間ほど要した記憶があります。

 

もう一度、行ってみようかと思います。

 

 

阪神深江駅の南側、徒歩15秒くらいのところに、魚屋道の史跡があります。

 

下図の赤丸が魚屋道の史跡がある場所です。

緑の破線が魚屋道のルートです。

魚屋道(ととやみち)

 

魚屋道は江戸初期から
灘地方と有馬を結ぶ
東六甲最古の山越え交通路で、
当時の絵地図では、
森から山に登り、
蛙岩、山の神、風吹岩、
東お多福山、本庄橋、
一軒茶屋、射場山山腹、
有馬のルートを通り、
「六甲超え」と呼ばれていた。

幕府が、灘から有馬への
正規の街道を西宮、宝塚、
船坂、有馬の線に定めた後も、
遠まわりを嫌った人々は
この道を利用した。

そこで、街道沿いの西宮や
生瀬などの宿場の商人は、
これを「抜け荷の道」と称して、
通行禁止を大阪奉行所に訴え、
しばしば紛争が生じた。

文化3年(1806)に、
灘本庄と有馬の人々が
ひそかに道の大修理をしている。

深江浜の魚は大正時代まで、
ここから有馬に運ばれていた。

 

文:田辺眞人
設置 昭和57年10月 深江財産区

 

出典:設置看板