灘目(なだめ)の水車【先人の再生可能エネルギー】
神戸市東灘区の住吉川上流に、灘目(なだめ)の水車が再現されています。
昨今、太陽光発電や風力発電など、再生可能エネルギーが注目されています。
再生可能エネルギーとして、水車を利用した小水力発電について考えてみるのも面白いと思います。
最先端技術を追求することも大切ですが、先人の知恵を借りるのも大切ですね。
先人の知恵を、現代社会に活かすための工夫が、現代人の仕事だと思います。
住吉川流域には、江戸時代から水車小屋が多く立ち並び、油絞りや製粉、酒造りのための精米に使われてきました。
最盛期には100基近くあった水車をしのび、水車と水路のある親水空間として整備されました。
大小2基あり、それぞれ「山田太郎車・次郎車」という愛称がつけられています。
出典:神戸市ホームページ
(灘目の水車)
六甲山麓には、江戸時代から沢山の水車が廻っていました。
特に住吉川流域には、88基もの水車が廻り、
灯油の油搾り、製粉、酒米の精米など、
水車産業として灘の酒造りを支えていました。この地域の水路は当時の水車のために、住吉川の上流から引かれたもので、
今も清流が町の中を流れています。水車小屋は桁行き(けたいき)が10間(18m)以上もある大きなもので、
水車の直径が3間(5.4m)もあり、水車は真ん中に据えられており、
屋根の上から木樋(きどい)で引き込まれた水の力で廻り、
その左右に置かれたつき臼や、すり臼、篩いに動力を伝えて動かしていました。水車を利用して作られた菜種油や酒は、大変よいもので、そのほとんど
江戸に送られ、「灘目油、酒」として、武家を中心にもてはやされていました。有馬道は、石材の積出しや水車へ往復する牛車が頻繁で、
特に雨降りにはぬかるみ、往来に困難を極めていました。見かねた山田在住の植田庄兵衛翁が有馬道の西側の田園を総て買い上げ、
道路用地として住吉村に寄贈し、明治20年に目出度く、
村道第1号が山田から呉田に新設されました。当時、翁は75歳の長寿で自ら「千歳道(ちとせみち)」と命名しました。
それが今、立っておられる道です。(この度、完成した水車には、山田太郎車(大)、山田次郎車(小)という
名前が付けられました)出典:灘目の水車の説明掲示板