無謬性(むびゅうせい)【無意識のうちに前提としていないか】

諸悪の根源は「無謬性神話」

アエラに隔週連載している内田樹さんの「官僚の無謬性神話がコロナ禍の医療と教育現場の疲弊を生んだ」を参照してください。

無謬性
読み方:むびゅうせい

誤りが含まれていないということ。誤りのなさ。

誤りようがない、すなわち、

絶対に正しいという意味でも用いられる。

 

出典:Weblio辞典

日本の政府や企業など大規模組織において、ほぼ無意識のうちに前提とされているのが、「エライ人の無謬性」かと思います。前提条件が間違っていると、必然的に全て間違います。無謬性(むびゅうせい)は読みにくい言葉ですが、日本社会では常に認識しておかなけらばいけない言葉です。

 

医療も教育も、この不具合の最大の原因は官僚の無謬(むびゅう)性神話である。政府は一度も間違ったことがないのだが、それにもかかわらず政策がうまくゆかないのは(感染が終息しないのも、学力が低下するのも)すべては「現場のサボタージュ」のせいである。だから、さらにシステムを上意下達的に編成して、現場の自由裁量権を奪い、黙って働かせればいいという話を30年ほど繰り返してきた結果こんな事態になった。

政府が時々政策を間違えるくらいのことを私は責めない。間違えたら、すぐにそれを認めて正せばいいだけのことだ。無謬性神話にしがみついて、誤った指示をそのままにして、さらに「新しいタスク」を上乗せするから現場は疲弊し切るのである。もう勘弁して欲しい。