【奈良・御所まち散策】環濠と街道が育んだ商都の歴史:知られざる商業都市の街づくり
古地図と変わらぬ姿を残す「御所まち」
奈良県のほぼ中央に位置する御所(ごせ)市。この地の中心にある「御所まち」は、江戸時代に南大和地方の商業と流通を担った重要な商都でした。
御所まちの最大の魅力は、中世の防御構造である「環濠」と、江戸時代の計画的な町割りが今も色濃く残り、当時の賑わいを現代に伝えている点です。
今回は、御所が商都として栄えた理由と、その独特な街づくりについてご紹介します。
交通の要衝として栄えた立地条件
御所が商業都市として発展した最大の要因は、その地理的な優位性にあります。御所は古くから主要な街道が交わる交通の要衝でした。
高野街道は北へ向かえば大坂(大阪)、南へ進めば紀州(和歌山)へと続く南北の大動脈。さらに竹内街道や伊勢南街道が東西に走り、大坂や伊勢といった主要地を結んでいました。
これらの街道が交差する御所は、米や綿、生活物資などが各地から運ばれる中継地として機能しました。多くの商人や旅人が集まり、問屋や宿屋が発達することで、都市としての賑わいが生まれていったのです。
地場産業が支えた商都の繁栄
交通の利便性だけでなく、地域で生み出される特産品の存在も、御所の経済的な繁栄を確固たるものにしました。
御所周辺では綿花の栽培が盛んで、18世紀半ば(宝暦年間)には地元の人々によって「大和絣(やまとがすり)」が開発されました。素朴で丈夫な風合いが好まれ、大和国を代表する織物として全国に流通。御所は一大生産・取引拠点として栄えました。
また、菜種から油を絞る「絞油業」も盛んで、灯火用や食用の菜種油は暮らしに欠かせないものでした。さらに、奈良県全体で発展した「売薬(配置薬)」も御所の重要な産業の一つでした。これらの地場産業が御所の豊かさを支えたのです。
環濠と水路が守り育てた街づくり
御所まちの景観を特徴づけているのが、「環濠集落」としての名残です。町の周囲を巡る堀はもともと防御のためのものでしたが、やがて排水路や治水、衛生管理など生活を支えるインフラとして活用されました。
各家の裏側には「背割下水」と呼ばれる石積みの水路があり、生活用水を処理しながら町全体の衛生を保っていました。さらに道路は「鍵型」に曲がっており、外敵の侵入を防ぐためにあえて見通しを悪くした設計が採用されていました。
これらの構造は江戸時代中期の「検地絵図」と現代の地図を重ねてもほとんど変わっていません。計画的で堅固な基盤の上に築かれた御所まちが、いかに大切に守られてきたかを物語っています。
四地蔵に込められた地域信仰
御所まちの四隅には、地域の安全と繁栄を願って祀られた「四地蔵」があります。長命地蔵、安産地蔵、大日地蔵、馬橋地蔵の四体で、いずれも町の境界や出入り口付近を守っています。写真は上から、この四体の順番になっています。
これらは、環濠や陣屋町としての防衛意識と、住民の信仰心が結びついた象徴でもあります。町全体が「結界」としての役割を持ち、人々の暮らしと信仰が密接に関わってきたことがうかがえます。
衝破除石(しょうはよけいし)に見る生活の知恵
御所まちを歩いていると、T字路や突き当たりの家の前に、文字の刻まれていない自然石が置かれていることがあります。これが「衝破除石(しょうはよけいし)」です。
「衝破」とは、道路が真正面から建物に突き当たることで、風水では悪い気(煞気)が直進して家に入り込むとされます。衝破除石は、その気の流れを受け止め、跳ね返すための魔除けです。沖縄の「石敢當(いしがんとう)」と同じような意味を持ちます。
防御の名残を残す鍵型道路の多い御所まちでは、この衝破除石が家々を守る象徴となりました。商売繁盛と家族の安全を願う住民の祈りが、今も静かに息づいています。
奈良県薬事研究センターと御所の薬産業
かつて御所市には、奈良県薬事研究センターが設置されていました(現在は桜井市に移転しており、この施設は使われていません)。この施設は、薬用植物の研究や製薬業の技術支援、品質管理を行う公的機関で、ヤマトシャクヤクやアカヤジオウなど「大和生薬」の優良種の保存や栽培研究が進められていました。
御所は江戸時代、富山と並ぶ「売薬(配置薬)」の一大拠点であり、多くの製薬業者が集まりました。背後に広がる葛城山系は薬草の生育に適しており、地域の自然が薬産業の発展を支えてきたのです。
薬事研究センターが御所に置かれたのも、まさにその伝統と地理的優位性を背景としたものでした。
鴨都波神社 秋季大祭(神輿祭り)に見る新しい担い手たち
御所市にある鴨都波神社(かもつばじんじゃ)では、毎年10月のスポーツの日を含む週末に秋季大祭が行われます。五穀豊穣を祈る伝統行事で、宵宮と本宮の二日間にわたって開催されます。
本宮の日には、高さ約2メートル、重さ約1トンといわれる大神輿が御所まちを練り歩きます。宵宮では奈良県無形民俗文化財の「ススキ提灯献燈行事」が行われ、夜の街が幻想的な灯に包まれます。
担ぎ手には、代々受け継がれてきた地元の若衆に加え、御所実業高校ラグビー部の選手たちが参加しています。さらに近年は、地域で働く外国人、特にベトナム人の若者たちも多く加わり、時代の流れを感じます。
幻の柿「御所柿」の復活
御所といえば、忘れてはならないのが「御所柿(ごしょがき)」です。これは日本の甘柿のルーツとされる品種で、室町時代後期に御所の地で突然変異によって生まれたと伝えられています。
それ以前の日本には渋柿しかなかったため、御所柿こそが日本初の甘柿といわれています。江戸時代には将軍家や宮中への献上品として珍重され、「天然の羊羹」と称されるほど濃厚でねっとりとした甘さが特徴です。
しかし、栽培が難しく、実が落ちやすいなどの理由で生産量が減少し、やがて「幻の柿」となりました。
それでも、御所市ではこの伝統を絶やすまいと、生産者と研究者が協力し復興に取り組んでいます。樹齢300年を超える古木の遺伝子を継ぐ新しい御所柿が、少しずつ市場に戻りつつあります。
御所を訪れる際、「御所柿」と名のつく柿に出会えたなら、それはまさに日本の果実史を味わう特別な体験となるでしょう。
おわりに
奈良・御所まちは、街道という「動脈」と、環濠という「防御・衛生インフラ」を巧みに組み合わせ、南大和地方の商都として発展しました。
今も残る町家や水路、四地蔵、衝破除石、そして鴨都波神社の祭りや御所柿など、そこかしこに先人たちの知恵と暮らしの息づかいが感じられます。
歴史的な町並みを歩けば、時代を超えて受け継がれる人々の思いが静かに伝わってきます。
ぜひ一度、御所まちを訪れ、古き良き商都の風景と、今を生きる人々の温かさに触れてみてください。