ドル依存からの脱却へ——カンボジア通貨「リエル」復権と世界の通貨多極化の行方
カンボジアは米ドル依存から、自国通貨「リエル」(カンボジア通貨)の利用促進へ動き始めました。金融政策の独自性回復と世界的な通貨多極化の流れを背景に、その狙いとリスク、さらに金価格への影響を解説します。
概要:なぜ今、リエルが注目されるのか
カンボジアでは長年にわたり米ドルが事実上の補完通貨として広く流通してきました。旅行者向けの小売や不動産取引、大口決済の多くがドル建てで行われ、「ドル一強」の状態が続いてきたのです。
しかし近年、中央銀行(National Bank of Cambodia, NBC)はリエル(KHR)の利用促進を政策目標に掲げ、金融政策の実効性を高めるための施策を強めています。これは「脱ドル(de-dollarization)」を単純に掲げてドルを排除することを意味するのではなく、国内通貨の機能回復によって政策運営を取り戻すことを目指す動きです。
背景:カンボジアがドルに依存した理由
1990年代以降、カンボジアは内戦後の混乱を経て急速に復興してきました。政治・経済の安定が不十分な段階で信頼性の高い外国通貨(主に米ドル)が安全資産・決済手段として普及したことが、事実上のドル化を生みました。
ドルはインフレ抑制や価格の信頼性を与え、外国投資家にとっても利便性があった一方、通貨が二重流通すると中央銀行の金融政策伝達や通貨供給のコントロールが難しくなるという構造的な弱点も生まれました。これがNBCがリエル利用拡大を掲げる根拠の一つとなっています。
中央銀行の戦略:政策ツールと現実的アプローチ
NBCは単に「ドル禁止」を宣言するのではなく、次のような段階的・市場誘導的手法を採っています。
- 銀行制度での優遇措置:リエル預金に対する準備率の優遇や、リエル貸出促進のための規制緩和。
- 電子決済インフラの整備:都市部だけでなく地方でもリエル建てのデジタル決済を普及させる。
- 為替の安定化:管理フロート制を用いてリエルの急激な変動を抑え、信認を高める。
NBCの幹部は「リエル強化の重要性」を繰り返し強調しており、投機的な締め付けではなく、制度とインセンティブを通じた「復権」を目指している点が特徴です。
「脱ドル」と「多極化」の違い—政策言説の読み解き
当局は「脱ドル=ドルを経済から排除すること」ではないと明確にしています。発展途上国にとって、ドルは依然として外部からの投資を呼び込みやすい存在です。短期的にドル流通を否定することは逆効果になりかねません。
むしろ現実的な目標は「多通貨・多様化」です。ドルや人民元といった国際通貨の有用性を認めつつ、自国通貨を強化して金融政策のツールを取り戻すこと。これは米中二大勢力の影響下にあるカンボジアの地政学的現実を踏まえた柔軟な姿勢といえます。
成功の条件と主要なリスク
リエル利用促進が成功するためには以下の条件が不可欠です。
- マクロ経済の安定:インフレ率や財政の健全性を維持し、投資家や家計の信頼を獲得する。
- 決済インフラの整備:電子決済や銀行ネットワークを拡充し、地方にまで浸透させる。
- 市場参加者の信頼醸成:事業者や国民がリエルを価格表示や貯蓄、契約通貨として受け入れる文化的変化。
一方でリスクも存在します。外貨流入が減れば外貨準備の圧迫や輸入物価の上昇を招く恐れがあります。ドル流通によって担保されてきた価格安定感が崩れる局面では、短期的な混乱も想定されるため、段階的で透明性の高い政策が求められます。
地政学と国際金融の潮流——他国の事例に学ぶ
カンボジアの動きは、世界的な「デドル化」議論の一部でもあります。中国やBRICS諸国では、国際貿易での人民元利用拡大や金融インフラの多角化が進められています。ただし、完全なドル代替には市場の深さや信認といった大きなハードルが残ります。
各国が採るのは一気の「脱ドル」ではなく、段階的・多面的な戦略です。カンボジアも同様に、柔軟で現実的な制度設計が必要となるでしょう。
カンボジア経済にとっての学び:政策設計の実務論
カンボジアの事例から得られる教訓は次の通りです。
- 通貨の信頼は一朝一夕に築けるものではなく、継続的なマクロ経済政策と金融インフラ整備が不可欠。
- インセンティブ設計(例:準備率差、決済手数料の差別化)が市場行動を変える有効なツールとなる。
- 地政学的な現実を踏まえ、単純な「反ドル」姿勢ではなく、多通貨共存型の戦略が望ましい。
最後に:この動きがゴールド価格に与える影響
カンボジアのリエル振興自体が世界のゴールド価格に直接的な影響を与える可能性は小さいでしょう。しかし、その背後にある「ドルの相対的地位の低下」や「地域通貨の役割拡大」といった潮流は、金市場に間接的に影響を及ぼす可能性があります。
- ドルの影響力低下による金需要の増加
ドルが国際決済で相対的に弱まれば、金は依然として「価値保存手段」としての魅力を持ち、需要が高まる傾向があります。 - 新興国の外貨分散による金需要の拡大
ドル依存を減らす国々が外貨準備や資産分散の一環として金を選好すれば、長期的な需要の底上げにつながります。 - 短期的には金利と為替が主導
金価格は最終的に実質金利やドル為替の動向に大きく左右されます。カンボジアの動きが地域的なインフレ圧力やドル動揺を生めば、金市場へ波及する可能性も否定できません。
総じて、カンボジアのリエル振興は国内の制度強化の試みであると同時に、世界的な通貨多極化の流れに位置づけられます。この動きそのものは小さな一歩かもしれませんが、ドル覇権の相対的低下や新興国による資産分散が進めば、金の長期的な需要を下支えする一因になると考えられます。